道院長(指導者)について
各地の道院では、金剛禅総本山少林寺によって指導者として正式に認められた道院長が、責任を持って道院運営・門信徒育成を行っています。
金剛禅宗門は教えを現代社会に生かすための道であるため、道院長は本職を別に定めたうえで、社会との関わりを持ちながら「自己と他人の成長、そして金剛禅を縁とした人間関係」を最大の喜びとして無償で指導に当たっています。
道院長紹介
道院長 宮本 富博
大導師 正範士 七段
大導師 正範士 七段
私は前川前道院長の病気死去に伴い、4年前に生駒北道院長を引き継ぎました。
私は、前前川道院長とは同じ歳で、生駒道院で道場長、副道場長として一緒に修練し、、一般財団法人少林寺拳法連盟主催の全国大会で、中高年の部で優良賞も受賞しました同志でもあります。
私は、1977年6月に県下初の道院である生駒道院(髙山道院長)に入門し、40年に渡り道院で修行し、現在は、私の出生地である奈良市三松町(生駒市あすか野の南隣)の専有道場で修練している新米の道院長です。
少林寺拳法開創の動機と目的にあるように、先の敗戦時の悲惨な満州からの逃避行体験(どんな悲惨な状況の中でも、我が身のことしか考えない人もおれば、我が身を犠牲にする人もいる現実を体験し、人、人、人、全ては人の質にあると確信され)から、無事帰国できたら、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを(自己が先にある)」を考えられる青少年を育成し、平和で豊かな国造り(理想境実現)に邁進させようと、その手段として少林寺拳法を創設されました。
創設され70数年経った現在はどうか?
戦後見事な復興を遂げ世界第二位の経済大国となり、ジャパンアズナンバーワンの時代を経て、一転バブル崩壊から長期低迷期が続き、人口減少化が現実となる中にも変わらず、国の成長ばかりに目を向け、国民の生活は一番最後、正論が廃れ、正直者が馬鹿を見るような世相へと変わりました。
今からでも、少林寺拳法の修行を通じて、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」を考えられる質の高い普通の人の育成が必須ではないかと愚考しています。
一歩一歩階段を登るが如く漸〃修学の少林寺拳法を修行し、理想郷建設の仲間・同志として、伝統ある日本・日本人を再生せるために一緒に修行しませんか。
私は、前前川道院長とは同じ歳で、生駒道院で道場長、副道場長として一緒に修練し、、一般財団法人少林寺拳法連盟主催の全国大会で、中高年の部で優良賞も受賞しました同志でもあります。
私は、1977年6月に県下初の道院である生駒道院(髙山道院長)に入門し、40年に渡り道院で修行し、現在は、私の出生地である奈良市三松町(生駒市あすか野の南隣)の専有道場で修練している新米の道院長です。
少林寺拳法開創の動機と目的にあるように、先の敗戦時の悲惨な満州からの逃避行体験(どんな悲惨な状況の中でも、我が身のことしか考えない人もおれば、我が身を犠牲にする人もいる現実を体験し、人、人、人、全ては人の質にあると確信され)から、無事帰国できたら、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを(自己が先にある)」を考えられる青少年を育成し、平和で豊かな国造り(理想境実現)に邁進させようと、その手段として少林寺拳法を創設されました。
創設され70数年経った現在はどうか?
戦後見事な復興を遂げ世界第二位の経済大国となり、ジャパンアズナンバーワンの時代を経て、一転バブル崩壊から長期低迷期が続き、人口減少化が現実となる中にも変わらず、国の成長ばかりに目を向け、国民の生活は一番最後、正論が廃れ、正直者が馬鹿を見るような世相へと変わりました。
今からでも、少林寺拳法の修行を通じて、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」を考えられる質の高い普通の人の育成が必須ではないかと愚考しています。
一歩一歩階段を登るが如く漸〃修学の少林寺拳法を修行し、理想郷建設の仲間・同志として、伝統ある日本・日本人を再生せるために一緒に修行しませんか。